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zoom RSS 1854 のと鉄道の駅 Before and After 2.能登線

<<   作成日時 : 2018/05/29 22:00   >>

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 のと鉄道の駅、2回目は能登線です。
 1988(S63)年3月25日、JR西日本から引き継いで開業した、のと鉄道の礎となった路線です。穴水〜鵜川間の開通が1959(S34)年6月15日だから、戦後開通の比較的新しい路線でした。転換後もJRからの直通急行〔能登路〕も引き続き運行されていたが、利用者の減少により、2005(H17)年3月一杯を持って廃線となりました。開業から、50年も持たなかった。なので「Before and After」と言っても、ここでは「Before」しかないのだが、その点はご了承を。

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中居 なかい

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比良 びら

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鹿波 かなみ

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 かぶと

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 甲駅時代のオユ10 2565。当時は単に留置されているだけ、という感じでした。補修はされているが、外板はかなりボコボコになっています。車号などの標記がありません。

 国鉄〜JR時代、甲〜沖波間に「立戸の浜」という臨時駅があったが、のと鉄道では開設されませんでした。

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沖波 おきなみ

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前波 まえなみ

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古君 ふるきみ

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鵜川 うかわ

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七見 しちみ
 この駅は転換より後、1995(H7)年3月17日に開業しています。営業期間は10年にしかなりませんでした。

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矢波 やなみ

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波並 はなみ

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藤波 ふじなみ

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宇出津 うしつ

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羽根 はね

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小浦 おうら

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縄文真脇 じょうもんまわき
 国鉄〜JR時代は単に「真脇」で、転換時に「縄文」の2文字が入りました。

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九十九湾小木 つくもわんおぎ
 国鉄〜JR時代は「能登小木」で、転換時に改称しました。

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白丸 しろまる
 国鉄〜JR時代は「能登白丸」でした(青梅線の駅と区別するためだろう)。

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久里川尻 くりかわじり
 国鉄〜JR時代は「能登川尻」で、転換時に改称しました。

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松波 まつなみ

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恋路 こいじ
 国鉄〜JR時代は臨時駅で、こちらは転換と同時に、正式な駅に格上げされました。

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鵜島 うしま

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南黒丸 みなみくろまる

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鵜飼 うかい
 国鉄〜JR時代は「能登鵜飼」でした。能登線に関しては、「能登」の2文字を冠した駅は、転換時に全て改称しています。七尾線は皆そのままなのに。

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上戸 うえど

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飯田 いいだ
 国鉄〜JR時代は「珠洲飯田」でした(飯田線の駅と区別するためだろう)。

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珠洲 すず

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正院 しょういん

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蛸島 たこじま

 この路線は元々駅が比較的多く、61qに駅が26ありました。2qとちょっとに1つは、駅があった事になります。
 改めて並べてみて、あと1度は乗っておきたかった、と感じました。6〜7年頑張っていれば、あるいは「いろは」効果で…なんて事もありえたのか。「いろは」ラッピング車が、さらに自然豊かな「のとの細道」を快走する、そんなシーンを夢見る事も、できたのかも知れません。

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 小田急は今日、ロマンスカーGSE70000形第2編成の7月11日デビューと、その前日10日を持っての、LSE7000形の定期運行の終了を発表しました。LSEは臨時列車としての運行の後、今年度一杯で引退になります。新元号は迎えられない。ロマンスカーは、HiSE10000形とRSE20000形は先に引退済みだから、最古参は一気に、1995(H7)デビューのEXE30000形という事になります。

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