№6 なぜ、バスファンになったのか? -私の70’s- 3

 さて、今日は連載の3回目で東急バス新羽営業所の車両の話になります。
 ところで、今手元には、「電車とバスのなんでもシリーズその2・東急のバスたち」という本があります。
 高津時代の「電車とバスの博物館」で購入したものですが、昭和61年第1刷発行とありますので、この本に写っている車両は全て現在の東急バスからは姿を消しています。
 この中に、今回お話しするような車両の写真などが入っていますので、興味がありましたらちょっと探して見て下さい。
 また、「バスラマ インターナショナル臨時増刊 東急バスのすべて」(ぽると出版)の「歴史編」にも写真がいくつかあります。
 東急バス発足時の1991年発行で、もう絶版ですから、古本屋で探して見てください。

 現在の東急バス新羽営業所は、一般路線車だけでもブルーリボンⅡあり、エルガミオありとバラエティに富んでいますが、私たちが通学で利用していた頃は、3年生の頃までは全車日産ディーゼルの2サイクル・「4R」系でした。
 その代わりボディメーカーが標準の富士重工だけでなく、北村製作所や金沢産業もあり、さらに長尺(4R110等)と短尺(4R94)とがあって、別の意味でバラエティに富んでいたと言えます。
(もちろん形式はずぅーっと後になって知った事です。)

 そして、前回少しだけ触れましたが、当時の新羽営業所は、路線によって運用する車両が固定されていました。
 私たちが通学に利用した「綱島駅=小机駅」を初めとする「新羽線」は、主に次の車両によって運用されていました。不思議と登録番号(緑ナンバー)が強く印象に残っています。

 横浜2 き2585
 横浜2 き2586
 横浜2 き2587
 横浜2 き2588
 横浜2 き2589
(以上4R110 富士)
 横浜22か  47
 横浜22か  48
 横浜22か  50
(以上4R105 北村)
 横浜22か1059
(4R94 北村)

 ※形式は少し違うかも知れない

 本当は東急バスだと、社号「NI XXX」の方に注目すべきですが、そこまでは関心が回りませんでした。
 不覚です。
 後はオールドファンの方々の研究に期待したいのですが…。

 上段2形式は新羽線のみの運用で、他の路線は入らなかったはずです。
 長尺だったからでしょうか?
 それと、今にも繋がる東急バスの特徴でもありますが、フォグランプがありませんでした。
 下段の車両(2つライトで、フォグランプはあった)は、同形態が他にも数台あったはずですが、ほとんど綱島線・新城線の運用で、新羽線には入る機会があまりありませんでした。
 なぜか1059のみ新羽線中心で活躍していましたね。
 そのほかにも富士や金産の4R(2つライト)も数多く在籍していましたが、やはり新羽線にはほとんど入りませんでした。
 それだけにごくたまに当たると、子供心に「ラッキー」?と思った…かどうか…。
 新羽営業所の車両で異色と思えたのは、ワンマン試作車とされる前後ドア車で、子供心にも乗りたかったなあ…。
 ほんのたまに新羽線に入りましたが、後は新羽営業所からの綱島駅行出庫で乗った位かなあ。
 
 川和・第三京浜線は富士と金産(4つライト・こちらはフォグランプあり)車でした。
(上記の「バスラマ」に金産ボディ車の写真があります。)やはり新羽線の運用は多くはなかったですが、ただ、当時は新羽営業所から小机駅へ出庫→そのまま川和線へ運用というのが早朝を中心にあり、それで乗った事もあった気もします。
(ちなみに現在も平日5時台の片道1本だけこういう運用があります。)
 もちろん、川和線で乗った事もあったと思いますが。
 いずれにしても、全部の車両がいわゆる「バス窓」でした。
 もう少し時代が合えば、特に北村・金産ボディの車両は「保存しよう。」と言う声が上がったかも知れません。

 私は家に帰ると、新聞に堂々と東急バスの絵を書きまくって、よく怒られたものです。
 母いわく「ヘタね…。」だって…。

 次回はもう少し車両の話を続けたいと思います。
 3年生位になると、ちょっと毛色の違う車両も見られるようになってきます。
 本当は実車の写真があると説得力があるのですが、なにしろ1970年代の小学校低学年生が、カメラを片手にあちらこちら撮り歩くなんて考えられない時代ですから。

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