№7 なぜ、バスファンになったのか? -私の70’s- 4

 何のかんの言って、ほぼ毎日、新しく記事を公開できていますね。
 私の小学生の頃の昔話を語る連載の4回目になります。
 今日も東急バス・新羽営業所の車両の話になります。どうかお付き合いください。

 今もそうですが、東急バスでは数年間隔での車体更新があります。
 昔は15年使用として、5年おきに更新が行なわれていたようです。
 当然、私たちが通学で利用していた頃もありました。
 小学生ゆえ、詳細はわからないですが、当時の更新で目に付いた点としては、
①とにかくボディの銀色がピカピカでまぶしい
②それまでの、例えば「綱島駅=小机駅」と、起点・終点双方を表記した正面の行先表示が、「綱島駅」「小机駅」の終点名のみの表記になった事
③フロント窓内部の「ワンマンカー」の表記(緑地に黄文字)が電飾からプレートになった事 でしょうか。

 3年生位になった頃、大きく車体のデザインを変えた車両が姿を見せるようになりました。
 FHIボディのモデルチェンジ・5形を架装した4R105形です。
画像

 参考までに、本体の「東急バス・アーカイヴ」のコンテンツで掲載している同型車両の画像をご覧頂きます。
(AO1254=青葉台〔営〕)
 なにより、バス窓から2段サッシになったのが斬新でしたし(たぶん、新羽営業所では初めて)、フロントも正面傾斜型からエラが張ったようなヘッドライト周りも印象的でした。
 フロントガラスは視野拡大型という事ですが、もう一つ、低床の試作車と言う事で、2段ステップではありましたが、確かにそれまでの車両と比較して明らかに低くなっていました。
 本体の「アーカイヴ」でも書いていますが、ステップ部にその辺の事を書いた一文があったはずです。
 なんて書いてあったかな…。
 それと、昨日の記事で取り上げた車両が皆「三方シート」(輸送力重視で、座席が通勤電車のようなロングシートになっていた。)だったのに対し、この車両から初めて全座席が前向きになったと思います。
 なお、投入は綱島線が中心でしたが、新羽線にも割と入る機会が多かったような気がします。

 そして翌年、ついに日産ディーゼルは2サイクルエンジンを廃止し、4サイクルのU20系にフルモデルチェンジする事になります。
 
画像

 これも参考までに、本体から持ってきた画像をご覧頂きます。
 ただし、この車両自体が、新羽在住時代から存在していたとは限りません。ご了承下さい。
 エンジン音が全然違う!と言うのが第一印象でした。
 スタイルもそれまでの4R系の各ボディとは違っていて、「すごい車が入ったなあ」と思ったものです。
 この車両は新羽線・綱島線で均等に入ったんじゃなかったかなあ。
(川和線・第三京浜線は、都内から転属してきたと思われる車両が入るようになりました。)
 新羽在住時代の東急バスについて大まかな所はここまで、4年生の9月には引越しで新羽の地を去る事になり、今度は神奈中バスとの付き合いが始まる事になります。
(これについてはいずれ別の機会に記事にしたいと思います。)

 当連載はもう少し続きます。次回も車両等の話で、もう少し細かい点について昔話をしたいと思います。

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