№2248 平成の30年 都道府県別鉄道回顧 8.茨城県(1)

 先月、47都道府県「魅力度ランキング」で、茨城県が8年連続だった最下位から脱出した事が、ニュースになりました。代わって栃木県が最下位に沈む事となったが、これって、どういう部分で決まるのでしょうかねえ?少なくとも私には、茨城県が(栃木県も)魅力のない県とは思いません。というか47都道府県で魅力のない所なんて、私には一つもないんですけれどねえ。平成時代の都道府県別鉄道回顧、今回は、この更新の直前にちょっと大きめの地震があったが、大丈夫そうだと思う、茨城県です。

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つくばエクスプレス開業 県南部の交通網に変革
廃止2鉄道の跡地 BRTに転換


最速130㎞/h 革新的新通勤鉄道
「常磐新線」の仮称の下に建設されていた、首都圏新都市鉄道「つくばエクスプレス(TX)」が開業したのは、2005(H17)年8月24日であった。秋葉原の地下駅をターミナルとし、埼玉・千葉県内を経由して、守谷からつくば研究学園都市に位置するつくば駅までの58.3㎞を結ぶ。
 ATO・TASCを装備した完全ワンマン運転の通勤電車が、最高速度130㎞/hの高速運転を行う、過去に例がない高規格の通勤鉄道である。快速電車は秋葉原~つくば間を45分で結び、表低速度は77.7㎞/hをマークする。秋葉原~守谷間は直流、以降は交流電化を採用しているのも特徴の一つで、両区間を直通するTX-2000系は、国鉄・JR以外の鉄道では北越急行(681系)に次いで2例目、通勤電車では初の交直両用電車となった。各駅のホームには当初から、ホームドアが完備している。
 TXの開業は、県南部の交通網を大きく変える事になった。研究学園都市から都心への足は、TX開業までは、常磐自動車道を経由する高速バスであった。国鉄民営化と同日に運行を開始した東京駅~つくば間の高速バスは、JR東日本(翌年JRバス関東に分社化)と関東鉄道の共同で運行され、年を追う毎に増便を重ね、TX開業直前には毎時5本を運行するまでになった。一時は15m級の超大型2階建て車を特認で導入するほどの高需要路線だったが、TX開業以降は大幅に本数を減らす事となった。守谷市内や水海道などと東京を結んでいた高速路線も相次いで廃止され、一般バス路線も大幅に再編成された。
 関東鉄道常総線は、非電化ながら取手~水海道間が複線化され、電化路線並みのフリークエントサービスが行われていた。最大で5連の運行も行われていたが、守谷で接続するTXの開業後は、減車・全線ワンマン化が行われる事となった。日中は取手~守谷間でも単行運転が中心となったが、一方で守谷~下館間は増発、快速の設定も行われている。
 常総線と、佐貫で常磐線と接続する竜ヶ崎線は共に、平成以降新車両を導入し、近代化を図っている。常総線の水海道機関区は1992(H4)年、南側の車両基地に移転している。2011(H23)年3月にはゆめみ野駅が開業した。

常磐線 特急強化と品川直通開始
 新幹線の恩恵を受けないJR常磐線は、常磐自動車道の延伸と、それに伴う高速バスの相次ぐ開業への対応を迫られる事となった。1989(H元)3月、〔スーパーひたち〕が運行を開始。同列車に導入される651系は、JR東日本が民営化後初めて開発した特急車両で、最高速度130㎞/hを在来線で初めて実現、大半は上野~水戸間ノンストップ運転を行い、最速1時間5分で結んだ。1997(H9)年には、〔ひたち〕で運用されていた485系の置き換え用としてE653系がデビュー、〔フレッシュひたち〕の愛称が与えられ、速達タイプの〔スーパーひたち〕と、主要駅停車の〔フレッシュひたち〕の2本立ての形態が確立した。
 東北新幹線開業後の常磐線は、寝台特急〔ゆうづる〕が唯一、仙台以北へ直通する列車となっていたが、1993(H5)年12月改正で廃止となり、常磐線の夜行列車は姿を消した。
 普通列車は国鉄時代からの415系等が使用されており、1991(H3)年には座席数の増加を狙い、2階建て車両、クハ415-1901号が試験的に導入されている。1995(H7)年には、209系をベースにした4ドア通勤車E501系が一部に投入された。1998(H10)年3月にはひたち野うしく駅が開業。1985(S60)年に開催された、つくば万博開催時に開設されていた、万博中央駅とほぼ同じ位置であった。上野~取手間の快速には2002(H14)年にE231系が導入され、老朽化していた103系を置き換えていった。
 TX開業を間近に控えた2005(H17)年7月改正では、新型車E531系がデビューし、国鉄型近郊電車を置き換えていった。TXに先手を打つ形で、上野~土浦間を55分で結ぶ特別快速が新設されている。E531系は2007(H19)年より、グリーン車を連結している。上野発着の普通列車は全てE531系に統一され、E501系と415系(ステンレス車)は土浦以北及び水戸線でのみの運用となった。
 2011(H23)年に発生した東日本大震災では、茨城県内のJR線の被害は比較的軽微だったが、福島県内で長期の不通が発生しており、〔スーパーひたち〕は、いわき以北の運転を取りやめたままである。翌2012(H24)年3月、常磐線に新特急車E657系がデビュー、651系・E653系を置き換え、全特急列車で車両を統一した。
 2015(H27)年には上野東京ライン開通により、特急の大半と、朝夕の快速、日中の特別快速・普通の一部が東京経由・品川までの直通を開始している。特急は全車両指定席となり、自由席に代わる「座席未指定券」の制度を導入した。また、〔スーパーひたち〕→〔ひたち〕、〔フレッシュひたち〕→〔ときわ〕と改称した。〔ときわ〕は、国鉄時代末期まで運行されていた電車急行の愛称である。
 水戸線は、常磐線に先んじて水戸まで到達していた歴史のある路線だが、現在は常磐線の支線的な性格で、日中は線内の折り返し運転が中心になっている。小山駅構内が直流電化のため交直両用車が運用されており、E531系を使用している。
 かつては上野からの直通急行があった水郡線も、現在は線内の普通列車のみ。水戸近郊は通勤・通学の需要が多いが、常陸大子以北の県境の区間では、列車本数が減少傾向にある。2007(H19)年には新車両E130系DCが導入され、110系を置き換えていった。3ドアセミクロスシートで、水郡線沿線の自然にちなんだカラーリングが施されている。

鹿行を貫く 鹿島線と臨海鉄道
 鹿行地域を走る鹿島線には、東京から特急〔あやめ〕の設定があったが、鹿島線内は普通列車として運行されていた。東関東自動車道が延伸して高速バスが開設されると競争力を失い、2015(H27)年に廃止となった。路線の終点は鹿島サッカースタジアムで、鹿島臨海鉄道の列車が鹿島神宮まで直通する形態となる。以前は北鹿島と称していた貨物専用駅だったが、1993(H5)のプロサッカーJリーグの開幕に合わせて建設されたスタジアムの最寄りとなり、臨時駅として試合開催時に一部列車が停車する事となった。
 鹿島臨海鉄道は、本来は貨物鉄道として建設され、一時は成田空港ジェット燃料輸送の見返りに、小規模な旅客輸送を行った経験があった。現行営業区間は、水戸~佐原間に計画されながら、現鹿島線区間以外の建設が凍結されていた区間を鹿島臨海鉄道が引き受け、1985(S62)年より旅客営業を行う経緯がある。当初は快速〔はまなす〕が設定されており、1992(H4)年には有料快速〔マリンライナーはまなす〕が設定され、茨城県所有の7000形が使用された。しかしのちに廃止になり、現在は、線内を各駅に停車する普通列車のみである。東日本大震災では、4か月の間途中一部区間が不通となる被害を被った。開業以来の、転換クロスシート車の6000形は老朽化が目立ち、近年は3ドアロングシートの8000形への置き換えが進められている。

ローカル私鉄 廃止と経営形態変化
 関東鉄道から分社した鹿島鉄道は、同じ日に分社となった筑波鉄道が1987(S62)年3月に廃線となって以降も、石岡と鉾田を結ぶ足となって走り続けていた。百里基地へのジェット燃料輸送の貨物列車の運行でファンには知られていたが、一般の旅客は減少し、その大半は地元の高校生だった。新型車両の導入や、平成の世になって間もなくの石岡南台駅の開業など旅客獲得に努めたものの、親会社の関東鉄道に支援の余力がなくなり、2007(H19)年3月いっぱいで廃止になった。末期の反対運動も叶わなかった。
 大甕で常磐線と接続していた日立電鉄は、通勤の利用も比較的多かったが、車両は各地からの中古の旧型車両で賄われていた。1990年代に入り、旧営団地下鉄銀座線の車両を改造の上導入、車両の体質改善を図ったが、安全対策への投資を十分にできないとの理由から、2005(H17)年に廃線となっている。
 両鉄道は共に、線路跡のBRT(バス高速輸送システム)転換が事が特筆される。鹿島鉄道跡地は石岡~四箇村間の鉄道跡をバス専用道として整備、2010(H22)年8月より鉄道代替バスのルートが変更され、専用道経由となった。「かしてつバス」の愛称で、専用カラーをまとう。2010(H22)年に開港した茨城空港への連絡バスも走行する。2016(H28)年には、石岡の鉄道駅跡地にバスターミナルが開設した。 一方、日立電鉄跡地は2013(H25)年に「ひたちBRT」の一期区間が開業、ハイブリッド車を含む専用車両が導入された。2018(H30)年には二期区間が開業、将来的には旧鉄道の区間を越えた、日立駅までの延伸も予定されている。一期区間では2018(H30)年、自動運転の実験走行が行われた。
 茨城交通は、1971(S46)年以降は、湊線1路線のみの運営となっていた。夏季にはJR線からの直通臨時列車運行の実績もあるが、利用の減少に加え、バス需要の落ち込みなど経営問題もあり、鉄道部門を分離する事になった。2008(H20)年、第3セクター方式による新会社、ひたちなか海浜鉄道が後を引き継ぎ開業、公募社長の下で安定経営に努めている。2010(H22)年に金上駅の交換設備を復活させ、勝田~那珂湊間の増発が行われた。車両は旧羽幌鉄道・留萌鉄道などからの譲渡車両が主力になっていたが、茨城交通時代末期から導入されていたキハ3710形に加え、三木鉄道・東海交通事業からの車両の購入で近代化を図っている。一部在来車両は国鉄色を復刻し、ファンの注目を集めた。那珂湊駅の「駅猫オサム」が話題。なお、バス専業となった茨城交通と、ひたちBRTを運行する日立電鉄交通サービスは、令和の世に移るのと同じ5月1日付けで合併、新会社・茨城交通となった。
 昭和末期に特定地方交通線・真岡線を転換して開業した真岡鐵道は、1994(H6)年よりSL列車を運行している。本社は栃木県真岡市にある。

 データは次回、火曜日です。

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