№2395 ひと昔・ふた昔前 私鉄の駅 弘南鉄道

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 当ブログでは、去年の夏からこれまで、平成の30年間に起きた鉄道のできごとを、都道府県別に振り返ってきました。今月は長野県まで到達、長野県のローカル私鉄3社の、平成初期~中期くらいの時期に撮影した駅をご覧頂いています。
「ひと昔・ふた昔前 私鉄の駅」は、今回からしばらくの間、これまで取り上げてきた県の鉄道の駅を、不定期・散発的にご覧頂こうと思います。残念ながら廃止になった鉄道の駅はだいぶ前、それこそ当ブログを始めた時期に取り上げているが、これからは主に、今も現役の鉄道の駅の昔の姿の画像を並べる事にします。
 まずは青森県の、弘南鉄道です。青森県は残念ながら、平成の30年の間に南部縦貫鉄道、下北交通、十和田観光電鉄が廃止になってしまい、東側の三八上北・下北はローカル私鉄が全滅してしまいました。現在の純粋なローカル私鉄は、津軽地方の2社のみです。そのうち、弘南鉄道は、元々は別々だった弘南線と大鰐線の会社が合併して成立した私鉄で、加えて旧国鉄の特定地方交通線・黒石線も引き受けていました。
 その3路線が運行されていた、1994(H6)年の撮影になります。当時はまだなかった駅もあります。また、名前を変えた駅も、いくつかあります(皆学校絡み)。

大鰐線 (大鰐~中央弘前)
 大鰐線は、大鰐が起点・中央弘前が終点です(現在の駅ナンバリングは中央弘前KW01→大鰐KW14)。戦後開業の、比較的新しい路線。だから、年季が入った木造駅舎は、大鰐線にはない。

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大鰐 おおわに
 奥羽本線の北側に、独自の駅舎があります(跨線橋は共用)。JRの方は後に大鰐温泉と改称するが、弘南鉄道は大鰐のまま。

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宿川原 しゅくがわら

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鯖石 さばいし
 なお、「さば」の漢字は本当は「魚」辺に「青」なのだけれど、JIS規格になく、PCでは出せない文字みたい。IMEパッドにもなかった(弘南鉄道公式Webでもそうなっている)。

 次の石川との間には、2002(H14)年10月1日に石川プール前駅が開業しています。

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石川 いしかわ

弘南鉄道03-05義塾高校前 1994.jpg
義塾高校前 ぎじゅくこうこうまえ

弘南鉄道03-06津軽大沢 1994.jpg
津軽大沢 つがるおおさわ
 車両基地があります。撮影当時はまだ旧型電車が残っていて(弘南線もだったが、ラッシュ専用だったか?)、旧西武のクハ1266形の編成が見えます。

弘南鉄道03-07松木平 1994.jpg
松木平 まつきたい
 弘南鉄道に限らないが、平を「たい」と読むのは、東北らしいと思います。

弘南鉄道03-08小栗山 1994.jpg
小栗山 こぐりやま

弘南鉄道03-09千年 1994.jpg
千年 ちとせ

弘南鉄道03-10城南 1994.jpg
城南 じょうなん
 今は改称し、聖愛中高前(せいあいちゅうこうまえ)。

弘南鉄道03-11西弘前 1994.jpg
西弘前 にしひろさき
 今は改称し、弘前学院大学前(ひろさきがくいんだいがくまえ)。

弘南鉄道03-12弘高下 1994.jpg
弘高下 ひろこうした

弘南鉄道03-13中央弘前 1994.jpg
中央弘前 ちゅうおうひろさき
 弘南線やJRの弘前駅からは、離れた位置にあります。

弘南線(弘前~黒石)

弘南鉄道01-01弘前 1994.jpg
弘前 ひろさき
 当時は、JRと弘南鉄道は、窓口・券売機は別々だったが、弘南線のホームへ行く跨線橋は共用だったはずです。北日本でよくあるスタイルだったが、現在は、JRは橋上駅舎となり、弘南鉄道は西側に独自の駅舎を立てています。11年前の2010(H22)年4月と、4年前の1997(H29)年5月に降り立った時に見ています。それぞれ№199と、№1699で書きました。

弘南鉄道01-02東工業高前 1994.jpg
東工業高前 ひがしこうぎょうこうまえ
 現在は改称し、弘前東高前(ひろさきひがしこうまえ)。

弘南鉄道01-03運動公園前 1994.jpg
運動公園前 うんどうこうえんまえ

弘南鉄道01-04新里 1994.jpg
新里 にさと

弘南鉄道01-05館田 1994.jpg
館田 たちた

弘南鉄道01-06平賀 1994.jpg
平賀 ひらか
 車両基地があり、ラッセル車を見る事もあります。近代的な駅です。1986(S61)年12月に改築オープンしたとの事。

弘南鉄道01-07柏農高校前 1994.jpg
柏農高校前 はくのうこうこうまえ

弘南鉄道01-08津軽尾上 1994.jpg
津軽尾上 つがるおのえ

 撮影当時は、津軽尾上と田舎館の間2.7㎞には、駅がありませんでした。この後1999(H11)年4月1日に尾上高校前、2013(H25)年7月27日に田んぼアート駅が開業しています。田んぼアート駅は№1699で出しています(朝晩は通過、冬季は全列車通過)。

弘南鉄道01-10田舎館 1994.jpg
田舎館 いなかだて

弘南鉄道01-11境松 1994.jpg
境松 さかいまつ

弘南鉄道01-12黒石 1994.jpg
黒石 くろいし
 国鉄時代の黒石駅とは別の場所で、弘南黒石と呼称していたが、黒石線が転換された時に路線を敷き直して弘南鉄道の駅と統合、黒石線の車庫も造られました。転換2年後の1986(S61)年4月に改称しています。現在でも弘南線の車両の留置があります。

黒石線(黒石~川部)

弘南鉄道02-01前田屋敷 1994.jpg
前田屋敷 まえだやしき

弘南鉄道02-02川部 1994.jpg
川部 かわべ
 JR東日本との共同使用駅で、弘南鉄道の駅員はいませんでした。黒石線は国鉄時代は弘前への直通列車の設定もあったそうだが、転換時に線路は分断されています。駅舎そのものは今でも変わっていないみたい。

 撮影した当時の、各線の時刻表です。

弘南鉄道大鰐線時刻表19940401.jpg
大鰐線 1994(H6)年4月1日改正

弘南鉄道弘南線時刻表19940401.jpg
弘南線 1994(H6)年4月1日改正

弘南鉄道黒石線時刻表19940418.jpg
黒石線 1994(H6)年4月18日改正

 この当時は、大鰐線と弘南線には朝夕に快速があったし、弘南線では、ラッシュ時には6連が走っていたものでした。大鰐線は快速+普通で合計36往復(区間運転・学校休校日運休含む)、弘南線は35往復、黒石線は21往復の設定がありました。
 その後黒石線は1998(H10)年3月いっぱいで廃止、弘南鉄道としては14年しか持ちませんでした(旧国鉄特定地方交通線で、他鉄道に転換された路線では一番早い廃線だった)。また大鰐線・弘南線も急速に減便が進み、快速も廃止、大鰐線に至っては(区間運転増便の実験も行われた事があるが)朝方以外は1時間間隔となり、夕方はラッシュと言えるものがなくなってしまいました。弘南線も日中は1時間間隔です。30年足らずで、大鰐線は17往復と半分以下、弘南線も23往復にまで減便されてしまいました。黒石線を代替した弘南バスも、現在は平日5往復・土休日4往復です。
 弘南線の田んぼアート駅開業など、利用者を増やす試みは見られるものの、外部から利用者を呼べるような目玉が少ない事もあって、沿線の利用が減少すると、ストレートに影響する事になります。無論、現在のコロナ禍も極めて心配な材料です。車齢50年を超えた、旧東急の7000系の代替も、現状では難しい。環境は極めて厳しいが、何とか頑張って欲しい、としか、言いようがないです。弘南線は4年前に乗っているが、大鰐線はご無沙汰が長いので、ここも早めに再訪をしたいとは思っているが、いつになるのか。

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《今日のニュースから》 カッコ内は新型コロナウィルス関連
19日 ヤクルト 村上 宗隆 史上最年少21歳7か月で100号ホームラン達成
(さいたま市 妊婦へのワクチン優先接種開始)
20日 ロシア中部ペルミ 大学で銃乱射事件 8人死亡
(八重山地方 民謡「とぅばらーま大会 オンライン開催)
21日 バスケットボール男子日本代表 トム・ホーバス氏 新ヘッドコーチ就任発表
(ワクチン接種 1回目 全人口の66.5% 2回目 54.4%達成)

 ワクチン接種は、私は2回目も終わったので、54.4%の一人という事になるが、都道府県別の接種状況も発表になっているけれど、同じ北関東で隣同士なのに、群馬県は1回目接種が70%を超えている(全都道府県では山口県に次いで高い)のに、栃木県は60%に届いていない(沖縄県に次いで低い)。職域接種などもあるので単純比較もできないが、この差はどこから来るのだろうか?感染者数は、東京都が300人を割り、国全体でも1,767人だそうだからだいぶ落ち着いてきているが、これで、緊急事態宣言は今月いっぱいで終わり、となってくれるのだろうか?3連休を含めて祝日が2日ある今週がヤマ場、か。

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