№1383 思い出の海外旅行クロニクル 19.2002年ノルウェー 2

 オスロで痛い目に合う事になるので、本当はあまり書きたくはないのだが、触れない訳には行きません。ノルウェーの旅は続きます。   2002年 5月18日(土)  ヴォスのYHを発ち、近郊電車でベルゲンに向かう。午後まで滞在の予定だったが、予定していた14時58分発オスロ行は金曜・日曜のみの運転である事を、うっかり見落としていました。その後のオスロ行は前日と同じシグナチュール。この…

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№1382 思い出の海外旅行クロニクル 19.2002年ノルウェー 1

「思い出の海外旅行クロニクル」、今回は2年ぶり、欧州に戻って北欧ノルウェーです。  北欧は1993(H5)年に4か国まとめて行って、それから1996(H8)年に他の欧州諸国との周遊コースに組み込んで訪れているが、ノルウェーメインは初めてです。  ソグネフィヨルドを中心とした、風光明媚な絶景が存分に楽しめる国です。どんな旅になったのか。  とか書いておいて、いきなりお詫びです。  …

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№1372 思い出の海外旅行クロニクル 18.2001年中国・広州 4<終>

 JALのMD-11は1994(H6)年に国際線機材として導入され、B747-400をサポートする形で世界各地に就航して来ました。 「思い出の海外旅行クロニクル」でも、欧州路線(全部アムステルダム路線だった)の搭乗記を数回書いてきたが、様々な事情により、早々と全機退役が決定していました。  今の香港発成田行JL736便はB767-300ERで固定されているが、当時は他の路線との込みの運用…

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№1371 思い出の海外旅行クロニクル 18.2001年中国・広州 3

 広州2日目も曇天。旅客機撮影はあきらめて、昼の列車で香港に戻る事とします。  しかし体制の違いから来るのか、「この程度の事で、こんな事態になってしまうの?」と思わぬトラブルが発生してしまうのでした。 2001年11月30日(金)  2泊したYHで提供された朝食。お粥と、饅頭のようなものなどのセット。  外へ出ると、曇っているばかりか視界も今一つ良く合ない。そんな中、…

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№1370 思い出の海外旅行クロニクル 18.2001年中国・広州 2

 この広州の旅は№481で記したとおり、本来は広州の空港(今の新白雲国際空港の前の旧空港)へ旅客機の撮影をしに行こうかと思い、雑誌に乗っていた撮影ガイドをコピーして出かけたものでした。  しかし、外は雨…。旅客機撮影は明日に期待して、とりあえず今日は広州中心部をブラブラ、有名な観光地を訪ねてみたりしました。 2001年11月29日(木)  広州駅前のバスターミナル。と言って…

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№1369 思い出の海外旅行クロニクル 18.2001年中国・広州 1

「思い出の海外旅行クロニクル」、今回は中国広東省・広州です。2001(H13)年11月28日~12月1日の4日にかけて、香港経由で訪れました。4回について書きます。  この旅行については4年前の№481に単発で書きました。あの時は広州で大規模な暴動が発生したという事があり、それに関連して昔話として取り上げたものです。  今回は改めて詳しく記したいと思います。何しろ体制が違うので、戸惑う部…

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№1355 思い出の海外旅行クロニクル 17.2001年ロサンゼルス 4<終>

 早くもLAとはお別れになりました。ANA便で帰宅の途に就きます。 2001年10月29日(金)  7時前までは寝ているつもりだったが、1時間は早く目覚めた。東の空が赤くなる中、着陸機を見る事が出来ます。  いくつもターミナルがあるLAXだが、海外キャリアの国際線は大方、トム・ブラッドレー国際線ターミナルに発着します。  成田からのB747-400が、到着…

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№1354 思い出の海外旅行クロニクル 17.2001年ロサンゼルス 3

 1回お休みしたが、ロサンゼルス3日目について書きます。旅客機の撮影は今日が最終日になります。  前回は例によって舌っ足らずで終わってしまったが、要はクラスとか、運賃の高い安い、フルキャリアだろうがLCCだろうが関係なく、どうか穏やかな空の旅を楽しみたいのと、前回は自閉症だったが、これからいろいろな面でマイノリティな境遇に置かれた方々や、高齢化によって現れる様々な症状(認知症など)を抱えた方々…

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№1352 思い出の海外旅行クロニクル 17.2001年ロサンゼルス 2

 今日も一日撮影三昧…と思ったのだが、YHの外は曇り空。  とりあえず朝食を済ませて空港へ向かいました。 2001年10月27日(土)  空港のターミナルに着く頃には、青空が戻ってきました。今日は南側のLOTBに行って撮ります。  全部ではないけれど、一気にご覧頂きましょう。 ユナイテッド航空 B757-200 N577UA  旧塗装。UAはもちろん日本でもメ…

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№1351 思い出の海外旅行クロニクル 17.2001年ロサンゼルス 1

 2001(H13)年は、私にとっては一大転機となりました。  早い話が、それまでの鉄道乗務員の職から離れ、別の部署に転属になった事です。  詳しくは記せないが(決してやましい事ではないですよ)、そういう事情もあり、この1年はそれまで続けてきた欧州旅行をお休みせざるを得なくなりました。  一度に長期の旅行の日程を組む事が出来なくなったためであり、代わって短期になるけれど、ついに初めてアメリ…

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№1341 思い出の海外旅行クロニクル 16.2000年イタリア 8<終>

 2000(H12)年11~12月のイタリア鉄道の旅、今回は大きなヘマもなく、無事に日本に帰って来れました。  最終回は、イタリア鉄道の車両と、ローマ・テルミニ駅の画像、そしてほんの少しだがイタリアのバスの画像もご覧頂きます。また、いつものように総まとめとして、当時感じたイタリアの鉄道の印象、イタリアそのもののパーソナルデータを記して、完結です。  イタリアの基幹鉄道事業者は、イタリ…

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№1340 思い出の海外旅行クロニクル 16.2000年イタリア 7

 今回のイタリア旅行は南部の周遊が中心になったが、最終日はアルプスに近い北部のコモを訪ね、ミラノの「大手私鉄」に乗った後、ETRのECでチューリヒに向かい、イタリアとはお別れ。  最後はスイス航空便で帰国の途に就き、旅も終わりです。 2000年11月5日(日)  改めて、FSのコモ駅。  コモ湖。釣りを楽しむ人々が多かった。  コモ大聖堂。  …

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№1339 思い出の海外旅行クロニクル 16.2000年イタリア 6

 イタリア南部、コートダジュールに面したフランスとの国境の街・ヴェンチミリアからは、山岳部を走るローカル路線があります。  途中一部区間は国境をまたいで、フランス領にも入ります。  この路線、過去には宮脇俊三さんや長真弓さんが著書で取り上げていて、私も乗ってみたいと、前回のイタリア行の時もプランには組み込んでいたのだが、あの時はジェノヴァでの寝坊もたたって、結局乗れずじまいで終わってしま…

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№1338 思い出の海外旅行クロニクル 16.2000年イタリア 5

 イタリアで鉄道が走る島はシチリア島の他、ティレニア海に浮かぶサルディーニャ島があります。シチリア島よりは小さいが、それでも四国よりは大きな島です。本土から遠いのでさすがに列車の航送は行われないが、それでも本土と同じFSの路線があります。シチリアからローマ経由で初めて訪れました。 2000年11月 1日(水)  この日は「諸聖人の祝日」。ホテルの宿泊代80,000ITL(≒390…

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№1337 思い出の海外旅行クロニクル 16.2000年イタリア 4

 ナポリ2日目、もう一つのローカル私鉄に乗り、鉄道博物館を訪ねた後、夜行で再び南下。  翌日はシチリア島のローカル列車を乗り継ぎます。  やや写真が少なめなのはゴメンナサイ。 2000年10月30日(月)  ナポリの南、ティレニア海に面したトッレガヴェタまで、SEPSA(Societa Esercizio pubblici Servizi Spa)という私鉄が走っているので、…

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№1336 思い出の海外旅行クロニクル 16.2000年イタリア 3

 5日目。バーリを後にして海岸線を南下。夜行で一気にローマを目指します。  翌日はナポリまで戻り、前回は行かなかったソレントへ。明るい観光地でした。 2000年10月28日(土)  バーリ中央駅に着くと、困った事にFSのダイヤは大混乱。何しろ今8時というのに、5時38分発のレッチェ行がまだ出発していなかったりする。  ターラントへ行くのだけれど、次に乗れそうな7時38分発は、…

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№1335 思い出の海外旅行クロニクル 16.2000年イタリア 2

 3日目。午前中はトリエステで過ごし、午後はヴェネチアからローカル列車を乗り継いでミラノへ。夜行で一気にバーリへ。  翌日はバーリからローカル私鉄に乗り、前回は行きそびれたマテラと、以前も行ったアルベロベッロ、2つの世界遺産を訪ねます。 2000年10月26日(木)  トリエステは、大陸側では一番東に位置していて、アドリア海とスロベニアに南北を挟まれた港町です。  トリエ…

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№1334 思い出の海外旅行クロニクル 16.2000年イタリア 1

 今回の「思い出の海外旅行クロニクル」は、2000(H12)年10~11月のイタリア旅行について、8回に分けて書きます。  イタリア単独の旅行は1995(H7)年にも行っていて、当ブログでも書いたが、あの時は最後の最後、ミラノで置き引きにあってしまって、自ら台無しにしてしまいました。ただ、もちろんあれは自分自身のチョンボから来るもので、イタリアそのものには悪いイメージはありません。多少私の…

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№1314 思い出の海外旅行クロニクル 15.2000年ベルギー 5<終>

 2000(H12)年5~6月のベルギー鉄道の旅、最終回はいつものように、ベルギー国鉄の車両と、ブリュッセルの各ターミナル駅の画像をご覧頂きます。また、いつものように総まとめとして、当時感じたベルギーの鉄道の印象、ベルギーそのもののパーソナルデータを記して、完結とします。  国鉄のシンボルマーク。 「国鉄」と記してきたが、フランドル語ではSNCB(Sociét&eacu…

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№1313 思い出の海外旅行クロニクル 15.2000年ベルギー 4

 ブリュッセルには、大規模な路面電車の博物館があります。ベルギーの旅の締めくくりとして、この博物館を訪ねた後、ユーロスターでロンドンに向かいました。  翌日のヒースロー発JAL便で帰国の途に就きます。本当はヒースローで旅客機を撮りたかったのだけれど…。 2000年 6月 4日(日)  手持ちの「B-TOURRAIL」パス(次回出します)があと1日残っているので、いくらか国鉄線も…

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№1312 思い出の海外旅行クロニクル 15.2000年ベルギー 3

 ベルギーにも保存鉄道がいくつかあります。特に大規模なのは南部のマリエンブールにある、トロワバレ蒸気鉄道。非電化ローカル線と合わせて訪ねてみました。 2000年 6月 2日(金)  この日はリエージュからナミュールに向かい、南西部の非電化ローカル線でディナンを訪ねます。  当時のナミュール駅は大規模改良工事中。橋上駅舎を建設しているようだった。ホームは新しくなっていまし…

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№1311 思い出の海外旅行クロニクル 15.2000年ベルギー 2

 ベルギーでも、各地で路面電車が走っています。特に西部フランダースに多く、ゲントにも広範囲なネットワークがあります。1日費やして乗ってみました。  月が変わって翌日は、北海沿岸を走る軽鉄道を訪ねた後、ICで東部ワロンを目指します。 2000年 5月31日(水)  当時の(今でも?)最新鋭で、完全ノンステップの5連接車。前の日にアントワープで見たものと同型だが、こちらは前後に…

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№1310 思い出の海外旅行クロニクル 15.2000年ベルギー 1

 久しぶりに「思い出の海外旅行クロニクル」、やります。今回は2000(H12)年5~6月のベルギーです。9日間の旅を5回に分けて書きます。  ベルギーはオランダ・ルクセンブルグと共に「ベネルクス三国」を構成、たいていはオランダと、さらにはルクセンブルグと一体で訪問され、単独で訪れる方は、それほど多くはないだろうと思います。ECの政治・金融の中心地であり、「フランダースの犬」に代表されるおと…

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№1267 思い出の海外旅行クロニクル 14.2000年台湾 4<終>

 14年前の台湾旅行のクロニクル、最終回は、最終日に台北車站付近などで撮影した路線バスの画像を並べてみます。  台湾のバス事情は全然解らないので、とにかく一気に並べます。  ここまでが、台北車站前で撮影した路線バスです。全体的に、皆古かったです。エンブレムにあるように、シャーシーが日本製という車両もかなり見られました。  國光客運の高速バ…

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№1266 思い出の海外旅行クロニクル 14.2000年台湾 3

 早くも最終日になりました。午前中はMRTを利用しながら台北中心部を巡り、午後には帰国の途につきます。 2000年 3月21日(火)  と書いておきながら何だが、MRTの写真がほとんどありません。  あれ、淡水や新北投とか行って、手元のメモ帳にも「淡水駅は貴族の屋敷みたいだ」とか記してあるのだが。  本当に申し訳ありません…。  MRTの車内。プラスチックのセミクロ…

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№1265 思い出の海外旅行クロニクル 14.2000年台湾 2

 台湾2日目。天気が良くなかった午前中は、平渓線を中心に、東部の鉄道を少し訪ねてみました。当時の平渓線は(少なくとも、日本では)今ほどブームではなく、数少なくなったローカル支線の一つ、という印象でした。  天候が回復した午後は、メインの旅客機撮影に向かいます。滑走路際にポイントがありました。 2000年 3月20日(月)  区間車(普通列車)の乗り継ぎで行こうと思って、台北駅窓…

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№1264 思い出の海外旅行クロニクル 14.2000年台湾 1

 これまで13回の海外旅行は全て欧州でした。  そろそろ違う場所に行く事も考えて良いのではないかとも思い、当時はまだ暮らしにも少しは余裕があった事もあり、通例になった年2回の欧州旅行にプラス、初のアジア旅行として、台湾の台北行を決定しました。  どうして台北にしたのか、今となっては思い浮かない部分もあるのだが、確か当時の航空雑誌に、市中にある松山空港の撮影ガイドが記されていて、それを見て旅客…

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№1255 思い出の海外旅行クロニクル 13.1999年オーストリア 7<終>

 1999(H11)年10~11月のオーストリア鉄道の旅、最終回はいつものように、オーストリア連邦鉄道(ÖBB=Österreichische Bundesbahnen)の車両と、ウィーンを中心とした主要駅の画像をご覧頂きます。いつものように総まとめとして、当時感じたオーストリアの鉄道の印象、オーストリアそのもののパーソナルデータを記して、完結とします。  当時の&…

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№1254 思い出の海外旅行クロニクル 13.1999年オーストリア 6

 ウィーンにも小私鉄があり、南部のバーデンまで走っています。この鉄道を訪れた後、プラハ行ECでオーストリアともいよいよお別れ。翌日はKLM便を乗り継ぎ、帰国の途に就きます。 1999年10月31日(日)  ウィーン市中のオペラ座の前と、南部のバーデンの間は、ウィーン・ローカル鉄道(WLB Wiener Lokalbahnen)が走っています。路面電車スタイルの電車が使われ、市…

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№1253 思い出の海外旅行クロニクル 13.1999年オーストリア 5

 ウィーンには「Uバーン」と呼ばれる地下鉄、及び路面電車のネットワークがあり、「Sバーン」と共に都市交通を支えています。  10月30日~31日の2日にまたがって乗り歩きました。  当時の最新型(今でも?)。これは6系統で、7車体連接に見えるが、実際は5連接。掃除機が走っているように見えるのは気のせい?他の系統では、3連接の編成も見ました。  その車内。もちろんノンステ…

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