№1373 平成筑豊鉄道 時刻の変遷<前>

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 №1356の「私鉄名車列伝」では平成筑豊鉄道の初代レールバス100・200・300形を取り上げ、続いて№1358では平成筑豊鉄道伊田線・糸田線・及び田川線(以降まとめて「転換3線」と呼称)の各駅の画像をご覧頂きました。

 平成筑豊鉄道は1989(H元)年10月1日、旧国鉄→JR九州の特定地方交通線3路線を引き継ぎ開業した、福岡県福智町金田に本社を持つ第3セクター鉄道です。転換3線は元々は石炭輸送のために造られた路線で、明治時代にまでさかのぼる非常に古い歴史を持つが、石炭輸送偏重で旅客輸送は二の次になりがち、福岡近郊区間に組み込まれていながら列車本数も非常に少なく、旅客列車は不便だったようです。
 特定地方交通線転換の第3セクター鉄道はどこでもそうだったが、平成筑豊鉄道でも転換時に大幅に列車を増発、さらに翌1990(H2)年4から2003年(H15)年3月までの13年で駅を積極的に増設、転換前の15駅→2003年3月15日の赤駅開業で35駅と、倍以上になりました。
 利便性は大幅に向上、転換前に比べて利用も大幅に増えたはずだが、その後は再び利用の減少に歯止めがかからなくなったのか、21世紀に入って以降、改正毎に大きく変動を繰り返す事になります。
 ここでは2回に分けて、ダイヤ改正毎の時刻を全てご覧頂き、転換3線の変遷を振り返ってみようと思います。JTB時刻表のバックナンバーからエクセルで起こしたので、かなり大変な作業でしたが。
 前半は2000(H12)年3月11日改正までの20世紀のダイヤです。平成筑豊鉄道にとっては躍進→安定の時期だったと言えます。新車両導入の他、保安システムの更新も進みました。

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 参考までに、手持ちでは一番古いJTB(当時は交通公社)時刻表1982年4月号から、国鉄時代の1982(S57)年3月20日現在の転換3線の時刻表を作成してみました。
 一見して、どの路線も本数が極めて少ない事がはっきり解ります。田川線では日中、3時間以上列車がない時間があります。
 それ以外では、伊田線⇔田川線は直通列車がありません。伊田線と糸田線は筑豊本線の、田川線は日豊本線の支線であり、本来はこの両線の直通の需要は少なかったのだろうと考えられます。むしろ両線とも日田彦山線との結びつきが強そうで、特に田川線は大半が後藤寺までの直通でした。
 伊田線は小倉方面はもちろん、朝方には篠栗線吉塚への列車もありました。また、糸田線も日田彦山線直通があります。糸田線は金田で伊田線列車への分割・併合もありました。
 伊田線では、日中には快速〔はんだ〕もあります。小倉発着で、日田彦山線からさらに久大本線まで直通していました。キハ66+67だったはずです。
 田川線も小倉方面への直通があり、夜間には下関~行橋~伊田~後藤寺(添田)という列車もありました。また、客車列車(50系)もありました。
 列車番号は、伊田線…200番台、糸田線…300番台、田川線…400番台を原則とし、他線直通を4ケタとしていました。この考え方は、転換後も基本的に踏襲されます。
 いずれにしろ、33年経った今の目線では、あまりに前時代的なダイヤ、だった事は否めないでょう。
 この直後、伊田→田川伊田、後藤寺→田川後藤寺に改称しています。

 転換3線は1987(S62)年2月に第3次特定地方交通線に指定され、1989(H元)年2月に平成筑豊鉄道が設立される事になります。

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 転換直前、JR九州時代末期の1989(H元)年8月26日現在の時刻です。快速〔はんだ〕や、金田での分割・併合はなくなっているが、基本的なダイヤ形態は7年前と変わりません。この形態で、第3セクター移管を迎える事になります。

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1989(H元)年10月1日開業
 平成筑豊鉄道開業ダイヤ。終日に渡って大幅な増発となり、転換3線合計の列車走行キロ2972.1㎞は、転換前(1184.8㎞)の2.5倍にもなりました。伊田線で1時間に1~2本、糸田線・田川線も1時間に1本は運行が設定されています。行橋~犀川間には区間運転も設定され、1時間2本の運行となって3倍の本数になりました。
 伊田線と田川線は一部を除いて直通運転となったが、伊田線は直方→田川伊田、田川線は行橋→田川伊田を下りとしていて、転換後も変わりません。直通列車は田川伊田で列車番号を変える事になります。一方で他のJR線(筑豊本線・日田彦山線・日豊本線)への直通運転は一切なくなりました。
 糸田線の伊田線直通は朝方の5往復のみとなり、他は線内折り返し運転。
 転換時点では、駅数はJR時代と同じでした。

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1990(H2)年4月1日改正
 この改正から、矢継ぎ早に駅の新設が続く事になります。伊田線に市場・人見・上金田駅、田川線に内田駅が開業。
 ダイヤ面では、糸田線の増発もあり、列車キロは3000㎞を越えました(3011.6㎞)。以降も、1990年代は列車キロ3000㎞が維持されていきます。

 この後10月1日、伊田線にあかじ、糸田線に大藪、田川線に今川河童駅が、12月22日には伊田線に藤棚駅が開業しています(ダイヤは修正のみ)。

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1991(H3)年3月16日改正
 この改正で、田川線の閉塞方式がタブレット閉塞→特殊自動閉塞になりました。
 ダイヤ面では夕方に伊田線直方直通列車を設定、行橋~犀川間折返し列車の一部を崎山まで延伸しています。このダイヤ形態がしばらく続きます。
 この後10月1日には田川線の美夜古泉駅が開業。ここでは美夜古泉駅開業を反映した時刻を掲載しています。

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1992(H4)年7月1日改正
 この前の4月1日には、伊田線の下伊田駅が開業しています。

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1993(H5)年3月18日改正
 田川線に東犀川三四郎・柿下温泉口駅が開業。
 田川線で始発列車がやや繰り上がり、下り始発の始発駅は4時台の出発になりました。

 1994(H6)年はダイヤ改正は行われなかったが、糸田線の閉塞方式が2月28日、タブレット閉塞→特殊自動閉塞になりました。

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1995(H7)年4月20日改正
 田川線に源じいの森駅が開業。

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1996(H8)年3月16日改正
 ここは修正のみで、大きなダイヤ形態の変更はなし。

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1997(H9)年3月22日改正
 伊田線にふれあい正力駅、糸田線に松山駅が開業。
 夕方の直方~田川後藤寺直通が取り止めになりました(糸田線内区間運転に短縮)。

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1997(H9)年11月29日改正
 JRのダイヤ改正に合わせたものだが、修正のみで大きな変化はなし。

 翌1998(H10)年は、ダイヤ改正は行われませんでした。
 11月には、行橋駅がJR線共々高架化されました。

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1999(H11)年3月13日改正
 伊田線に田川市立病院駅が開業。

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2000(H12)年3月12日改正
 夕方の行橋~崎山間の増発や、金田~田川伊田間の回送列車の営業化により、列車キロは3222.8㎞/日に達しました。現在まで、転換3線における最高記録です。

 しかし転換3線では輸送人員が1990(H2)年度3,108千人→1999(H11)年度2,872千人、輸送密度が1,601人/㎞日→1,280人/㎞日と減少、営業損失は100万円→3600万円と増大しました。
 これを踏まえて、翌2001(H13)年より、改正ごとにダイヤ形態の大きな変化が繰り返されて行く事になります。

参考文献・Webサイト
 データブック 日本の私鉄 (寺田裕一/ネコ・パブリッシング)
 週刊 歴史でめぐる 鉄道全路線 公営鉄道・私鉄№23 (朝日新聞出版)
 平成筑豊鉄道沿線情報サイト「へいちくネット」


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 和歌山電鐵貴志駅の「たま駅長」が死亡したそうです。合掌。後の各地方鉄道の動物駅長の先駆けでした。平成筑豊鉄道もそうだが、どの鉄道ももはや「公共性」とか「環境」を声高に叫ぶだけでは利用者は戻ってこない、そういう事をも示してくれた、「たま」はその一例だったのだとも思います。

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